備中土岐(浅野)氏

 岐阜県瑞浪市に本部がある美濃源氏フォーラムの『’96美濃源氏土岐氏研究講座 講義録』で岡山県笠岡市の土岐嘉允氏が発表された「備中の一土岐氏について 起源と系譜の考察(第一部)」から、備中・浅野氏の同族と思われる備中・土岐氏の系図情報について当主を時代順に列記してみました。

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尾張水野氏

 加藤正高著『郷土史に秘められた勇者 毛受勝助』と加藤國光編『尾張群書系図部集』を参考に尾張水野氏の概略系図を載せました。水野氏といえば愛知県の大族で、名字の地は瀬戸市域の水野ですが、名古屋市守山区志段味や尾張旭市新居、稲葉にも展開していったようです。

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尾張大島氏再考

以前に考察した結果の概要は次の通りです。
1.新愛知新聞(中日新聞の前身の一つ)を創業した人物の伝記である『大島宇吉翁伝』では清和源氏の新田氏流大島氏の後裔を称するものの、それを裏付けるものは見当たらない。
 また、美濃や尾張に大島の名字の地を見つけ出せないのが現状である。

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古代の高原氏とその後裔

1.古代の高原氏
 もと韓国(からくに)氏といい、韓国連源(みなもと)は宝亀八年(777年)に派遣された第14次遣唐使の録事に任命されており、唐からの帰途、済州島に漂着し略奪・留置されたが密かに脱出し、宝亀九年十一月十日に40余人を率いて帰国したと『続日本紀』にあります。

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尾張富田氏と荒尾氏

 愛知県東海市域の富田庄(中世のある時点から荒尾庄富田村)があった東海市富木島町には鎌倉時代の特徴をもった古い五輪塔が七基存在し、その中の一段と形の良い五輪塔が業平塚と呼ばれています。
 これらの五輪塔は、この地を治め、融通念仏宗の開祖である聖応大師良忍上人(1072年~1132年)を生んだ藤原氏の一族が、在原業平と業平を慕って都からこの地まで来て悲恋の死をとげた女官あやめの菩提塔として建てたものという伝承があり、正徳年間(1711年~1716年)に宝珠寺(西寺)が後述する一心院(東寺)と合併して現在地に移転する前の寺院墓地に建立されていたそうです。

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