1.はじめに
以前から筆者は、帯方郡から邪馬台国までの距離一万二千里を実数とみなして現在の地図から里数のみで場所を特定しようとするのはナンセンスであるとしていたのですが、今回は話を一歩前に進めて、『三國志研究』第六号(三國志学会、2011年)に所収の「『三国志』東夷伝倭人の条に現れた世界観と国際関係」渡邉義浩著に邪馬台国関連の有益な情報がありましたので、これを参考にしつつ帯方郡から邪馬台国までの1万2千里の持つ意味を再考するとともに、邪馬台国が「会稽・東冶の東に在るべし」という記述との整合性などに重点を置いて検討します。
備前難波氏と備中清水氏
1.はじめに
国会図書館が所蔵する『諸系譜』には難波田使首系図があり、岡山県の大族で
ある難波氏に加えて、末尾には豊臣秀吉が水攻めにした備中高松城の城主・清水
宗治の孫までが記載されています。この系図は清水宗治の後裔で元長州藩士の清
水氏のために明治の初め頃に作成されたものと考えられます。
「卑奴母離」考
『魏志』倭人伝においては対馬国、壱岐国、奴国、不弥国に「卑奴母離(ひなもり)」という副官が置かれていたのですが、4~5世紀ではないかと思われる時代の『日本書紀』景行天皇18年3月条に景行天皇が夷守(日向国諸県郡:今の宮崎県小林市)に着いた時の側近に兄夷守(えひなもり)、弟夷守(おとひなもり)がいます。
“「卑奴母離」考” の続きを読む日向神話の舞台はどこか
1. はじめに
天孫降臨などの記紀神話に出てくる地名の比定は、どこを舞台にした物語な
のかを解明することにつながる訳ですが、ここでは日向神話の舞台がどこにあ
ったのか、なぜそこなのかなどについて考察します。
天日槍伝説と三宅連氏
1.まえがき
『古事記』垂仁天皇段では、三宅連らの祖先にあたる田道間守が天皇の命を受けて常世国へ非時香菓を求めて旅に出たとの話を載せており、応神天皇段では新羅王の子である天之日矛が神宝8種を持参して渡来し但馬国にとどまり、その子孫に多遅摩毛理らがいたことを記しており、田道間守=多遅摩毛理です。
天照大神の起源を探る
1.はじめに
本稿は現在の皇祖神である天照大神の名前の謎に迫るべくその起源を探ったものであり、一案としてまとめました。
古代阿曇氏の発祥地について
1. はじめに
『日本書紀』によれば、阿曇氏やその先祖には応神朝に大浜宿禰、履中天皇即位前紀に阿曇連浜子、推古朝に阿曇連(闕名)、皇極朝・天智朝に阿曇連比羅夫、孝徳朝に阿曇連(闕名)、斉明朝・天智朝に阿曇連頬垂、天武朝に阿曇連稲敷がいます。
明智光秀のルーツを探る
1.はじめに
明智光秀のルーツについては、「三河三宅氏」の稿で主に名乗りの共通点から三河三宅氏と同族ではないかとしたわけですが、本稿では東大史料編纂所蔵の「明智氏一族宮城家相伝系図書」(以下、宮城系図と称する)や三宅家史料刊行会編の『明智一族三宅家の史料』に掲載の熊本藩士三宅家系譜(以下、三宅系図と称す)の細部を検討し、三河三宅氏同族説を補強してみたいと思います。
三河三宅氏
1. はじめに
三河の田原藩主であった三宅氏は『寛永諸家系図伝』では藤原氏支流に収め、「家伝にいはく、先祖は備前の児島より出、藤五太郎、藤五次郎、藤五三郎兄弟三人なり、今にいたりて九百年にをよぶ、藤五三郎三州賀茂の郡廣瀬の城に居住す、隼人正は其苗裔なり、と云々」とあります。この藤五〇〇の藤の字により無理やり藤原氏流に分類されたようにも思えます。
尾張大島氏(前編)
1.はじめに
尾張大島氏については既に「尾張大島氏再考」に本編とでも言うべき内容をアップしていますが、そこに至るまでの概要が簡単過ぎるのではないかと思いますので、ここに前編としてまとめます。