久能伝説

 江戸時代の地誌『駿国雑志』には次のような秦久能による久能寺の建立と行基の手になる千手観音立像を安置する様が書かれています。

「昔、聖武天皇の御宇、秦川勝が二男、尊良の子、久能と言うもの、山に入りて獣を狩けるに、海辺近き所に古き杉の樹より、光ありて朝日のごとし、久能あやしみ人をして射落させ見れば、長さ五寸ばかりの閻浮檀金(えんぶだこん)の千手観音の像也。久能是を奇として、山中に寺を建、像を安置しけり。ある夜の夢に、老僧来て久能に告て曰く、我は補陀落山よりここに来れり。善かな汝、我を安置することよ、我能衆生を度せんのみと、夢覚て霊感をしるせり、因て補陀落山と云寺を建、久能寺と名づけり。其後行基ぼさつ此山に入て、古き楠を伐、千手の像七躰を刻み、かの五寸の像を新刻の像の胸に納けると也、七躰各七ヶ所に安置す。」

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