遠江国の鎌倉時代御家人名については、『吾妻鏡』建長2年(1250年)3月1日条の「閑院内裏造営雑事目録」では原左衛門(忠安)跡と浅羽人々(浅羽庄司ら)らが二条面南油小路北を分担しているが、久野氏は見られない。
“遠江国の鎌倉幕府御家人” の続きを読む月: 2022年9月
久野六太夫と広尾
川口謙二著『書かれない郷土史 武蔵・相模を中心とした民族資料』には逗子の疱瘡神社が次のように紹介されています。
“久野六太夫と広尾” の続きを読む古代の的氏の出身地の考察
1.はじめに
的(いくは)氏については、「的氏の地位と系譜」(『日本古代の氏族と天皇』直木孝次郎著、塙書房、1964年に所収)に詳しい考察がされており、その出身地としては、的氏の本来の故郷が山背か河内かは不明だが、その祖先伝承を形成した6世紀において、河内・和泉を重要な基盤として栄えた氏族であるとされている。
これは一つの有力な意見ではあるが、ここでは別の見解を提示してみたい。
聖徳太子御書並如来御返翰は本物か
1.はじめに
『善光寺縁起集註 巻第五』に所収の「聖徳太子御書並如来御返翰(注1)」には往復書簡集の形で聖徳太子と善光や麻績善光とのやり取りの手紙が計6通掲載されていますが、これらの手紙がなぜか法隆寺が所有する「善光寺如来御書箱」に納められているとのことです。
そこでこれらの手紙が法隆寺に納められた経緯などを考察してみます。