邪馬臺(台)国の場所

1. まえがき
 邪馬臺(台)国の場所については古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』では福岡平野にあったとするが、福岡平野に7万戸が存在したとするには面積的に狭いとの専門家の意見もあり、この問題を解決するためには邪馬台国が筑紫平野や佐賀平野にまで広がった領域とすればよいが、当時、そのような広域国家が成立していたのかは、『日本書紀』の景行天皇の九州巡行時の地名伝承などからも想像することは難しいので、つまりは、『魏志』倭人伝の内容そのものに問題があるのではないかと想像されます。

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遠江久野家の永禄騒動

1. 永禄12年(1569年)1月に起きたいわゆる遠州久野家の永禄騒動には諸説がありますが、この事件が記録されている書物の中で最も信頼がおけると思われる江戸時代の地誌『三河後風土記正説大全』をベースに、この時既に徳川方の不意討ちにより亡くなっていた淡路守宗益と、宗益の子で宗益討ち死に時に武田方へ走り、久野城にはいなかった日向守宗一の二人を永禄騒動に登場させる訳にはいかないので修正を加えて表にしてみました。

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出雲国造家系図の信ぴょう性

1.  はじめに
  3世紀前後の時期の大型四隅突出型墳丘墓としては、島根県出雲市の西谷古
 墳群の2号墓、3号墓、4号墓、9号墓が、また島根県安来市の塩津山墳墓群の
 6、10号墓が知られ、弥生時代後期には出雲地方の東西に大きな政治勢力が
 形成されていたものと考えられています。

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