1. まえがき
邪馬臺(台)国の場所については古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』では福岡平野にあったとするが、福岡平野に7万戸が存在したとするには面積的に狭いとの専門家の意見もあり、この問題を解決するためには邪馬台国が筑紫平野や佐賀平野にまで広がった領域とすればよいが、当時、そのような広域国家が成立していたのかは、『日本書紀』の景行天皇の九州巡行時の地名伝承などからも想像することは難しいので、つまりは、『魏志』倭人伝の内容そのものに問題があるのではないかと想像されます。
1. まえがき
邪馬臺(台)国の場所については古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』では福岡平野にあったとするが、福岡平野に7万戸が存在したとするには面積的に狭いとの専門家の意見もあり、この問題を解決するためには邪馬台国が筑紫平野や佐賀平野にまで広がった領域とすればよいが、当時、そのような広域国家が成立していたのかは、『日本書紀』の景行天皇の九州巡行時の地名伝承などからも想像することは難しいので、つまりは、『魏志』倭人伝の内容そのものに問題があるのではないかと想像されます。