1.はじめに
福岡県にある宗像大社(以下、宗像社という。)の奥宮が玄界灘の沖ノ島にあり、この島から「海の正倉院」と呼ばれるほどの多彩で貴重な品々が発見され国宝に指定されていますが、4世紀後半に始まったとされるこの祭祀を神官の宗像(胸肩、胸形、宗形とも称する)氏が単独で行ったとするにはその目的と必要な財力からして疑問であり、宗像氏がヤマト王権の国家祭祀の一翼を担ったものとするのが通説です。
月: 2023年6月
『宋書』倭国伝の司馬曹達について
1.まえがき
『宋書』倭国伝の元嘉二年(425年)条にある倭王讃の朝貢の使者の司馬
曹達について、任那日本府で現地採用された官職名が司馬を名乗る中国系の
人物であり、倭讃の使者として宋に上表文、そして曹達の発案・進言により
高句麗で得た方物を届けたとする意見もありますが、これには疑問な点があ
りますのでそれを記すと共に、別の解釈を提示してみたいと思います。
出雲の久野氏
出雲の久野氏がいつから久野姓を名乗ったのかは不明ですが、網野善彦著『日本中世史料学の課題』に京都府福知山市の桐村家が所蔵する大中臣氏略系図が紹介されていまして、常陸国新治郡を東、中、西に分割した時の中郡(茨城県桜川市)の郡司を勤めたのが藤原摂関家の流れをくむ上総介頼継としており、この子孫の中郡経元が承久の乱における戦功で出雲国久野郷の地頭職が与えられたとされており、中郡重経の子孫が出雲に下ったのではないかと考えられています。
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