秦久能の手掛かりとなる記述は加木屋系図に残されています。
加木屋本家系図では、「秦川勝ノ孫尊良末久能筑紫大嶋住亦珠流河国草薙山住久能山之城主也久能寺建観音有ハ妙音寺村也」とあり、加木屋分家系図では、「秦ノ川勝ノ公子尊良ノニ子久能秦欲遯乱東有地謂名島也経仁数方里筑紫来大島住亦珠流河国草薙山住久能山之城主也久能寺建勧音有妙音寺村也」と書かれ、分家系図では秦久能が筑紫に移ったのは東の地が乱れたことを理由にしているのが特徴です。
月: 2023年8月
中平銘大刀の来歴について
1.はじめに
4世紀後半の築造とされる奈良県天理市の東大寺山古墳から出土した国宝の長さ約110cmの鉄刀には、金象嵌で「中平▢年五月丙午造作文刀百練清剛上應星宿下辟不祥」の24文字(推定文字を含む)が入れられており、その意味は概ね、「中平▢年五月丙午の日、銘文を入れた刀を造った。百練鉄の刀であるから、天上では神様のお役に立つであろうし、下界では禍ごとを避けることができる。」と解釈されています。