稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族について

1.はじめに
  埼玉県行田市の埼玉古墳群には、かつて大小40基ほどの古墳が造られた
 ことがわかっており、出土した遺物から5世紀後半から7世紀初め頃までの
 約150年間に次々と造られたと考えられています。
  この古墳群の1基の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の銘文の8代の
 氏族について、既に有益な内容の書籍もあると考えられるので、それらを
 踏まえて銘文の氏族を考察します。

2.古墳群の築造順
  古墳群には前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳があり、この古墳群の
 築造順はほぼ、稲荷山→丸墓山(日本最大の円墳)→二子山→愛宕山→
 瓦塚→奥の山→鉄砲山→将軍山→中の山ではないかとされています。

3.銘文の内容
  『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』(埼玉県教育委員会編集、1979年)
 による銘文の表記は次のとおりです。
 (表)辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已
    加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
 (裏)其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支
    鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

  また、上記概報による訓読は次のとおりです。
 (表)辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、
    (名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名
    はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハ
    テヒ。
 (裏)其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖
    刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の
    大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀
    を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

4.オホヒコからヲワケの臣までの8人の関係
  銘文では「児」で繋いでいるから8名は親子関係があるものと考え易い
 が、『日本古代系譜様式論』(義江明子、吉川弘文館、2000年)によれ
 ば、多数の事例からみて古代の地位継承は親子関係ではなくて政治的地位
 の継承次第を記したものではないかとの意見です。

  それではオホヒコとヲワケの臣はどのような関係にあったのかですが、
 前川明久氏の「氏姓制への道」(『古代を考える 雄略天皇とその時代』
 、佐伯有清編、吉川弘文館、1988年に所収)によれば、阿倍・膳氏らの
 祖が、この時期にはすでに古い称号となっていた「ヒコ」に「大」の美称
 をつけて「大彦命」(意富比垝)という説話的人名を造作したとしている。

  また、前川氏は前掲書で、乎獲居臣(直)が仕えた職務としての杖刀人
 は丈部の前身であるという説があり、これを統率したのは阿倍氏であった
 からおそらく乎獲居臣(直)は阿倍氏の祖の配下にあったとみられ、葛城
 氏の系譜の「葛城襲津彦―葦田または玉田宿禰」の例から、「上祖名〇〇
 彦―其児△△足尼(宿禰)」という系譜類型が5世紀中葉の宮廷か畿内豪
 族の間で成立していたとみて差支えなく、系譜類型のヒコにあたる人名に
 阿倍氏の祖のオホヒコを、スクネにあたる人名に自己のタカリにあてて
 「タカリのスクネ」とし、タカリ以下の自己の祖先名と実在の祖父―父―
 吾(ヲワケの臣)の系譜を結び付けて銘文系譜を述作したと考えられると
 しており、なかなか鋭い考察です。

5.名前のカリ、タカハシワケとハテヒ
  銘文のタカリのスクネのカリ、テヨカリワケのカリと膳臣の祖磐鹿六
 や『日本書紀』崇峻二年条の膳臣から分かれた宍人臣のカリの部分の共
 通性については、『氏と家の古代史』(吉川敏子著、塙書房、2013年)
 などが指摘しているし、タカハシワケのタカハシは膳臣から改姓した高橋
 朝臣と一致することは、『日本古代氏族系譜の成立』(溝口睦子著、学習
 院、1982年)が指摘しており、ハテヒについて吉川氏の前掲書では、
 『日本書紀』欽明六年条の膳臣巴提便をハテヒと読み、かつての一族に見
 られる名を用いた可能性を指摘しています。

  銘文の8名と上記を含めた人名を表にまとめると次のようになる。

オホヒコ → 大彦四道将軍の一人。(崇神九年条)
タカリのスクネ → 田雁足尼 
磐鹿六雁(いわかむつかり)命大彦命の孫で膳臣の遠祖。(景行五十三年条)
テヨカリワケ → 千代雁別? 
タカヒ(ハ)シワケ → 高橋別 
タサキワケ → 田狭城別? 
ハテヒ → 巴提便? 
カサヒ(ハ)ヨ → ? 
膳臣(稚桜部臣)余磯天皇に酒を献ずる。(履中三年条)
ヲワケの臣 → 乎別臣? 杖刀人首
膳臣斑鳩任那日本府の将として高句麗と戦った。(雄略八年条)
膳臣巴提便(ハスヒorハテヒ)百済に派遣されて虎を退治する。(欽明六年条)
宍人臣雁東海道の海辺の国を視察した。(崇峻二年条)
高橋朝臣乎具須比(オグスヒ)安曇氏と争論する。(高橋氏文 霊亀二年)
杖部造孝元天皇皇子大彦命之後。(新撰姓氏録・右京皇別)

6.名前のワケなど
  銘文のテヨカリワケ、タカハシワケ、タサキワケ、ヲワケの4名がワケ
 を称しているが、このワケとは「別」のことであるとするのは『日本古代
 国家の成立』(直木幸次郎著、講談社、1996年)が指摘しているところ
 ですが、筆者は『日本書紀』景行四年条に70あまりの御子が国や郡に封
 ぜられて各国に赴かれ、諸国の別というのは別王の子孫であるとの記述に
 関係しているのではないかと考えています。
  つまり、『日本書紀』のこの記述はヤマト王権の婚姻政策により地方
 豪族と同盟関係を結んだことを示唆しているかもしれないからです。
  江戸時代の子だくさんの11代将軍・徳川家斉には55名の子供(成長して
 縁組がおこなわれたのはその内の28人)がいたそうですが、景行天皇の
 70名はさすがに誇張かと思われ、『先代旧事本紀』天皇本紀の景行天皇
 の項には『日本書紀』の上記の記述に関連して合計25名の〇〇別命(尊)
 が出てきますが、銘文の4名は見当たりません。
  『日本書紀』允恭四年条には誤って自分の姓を失う者もあるが、故意に
 高い氏を詐称する者があるとの記述があり、銘文の4名は詐称の可能性が
 あるものの、この一族はヤマト王権と何らかの関係があったものと考え
 ます。
  また、ヲワケの臣が称した杖刀人首は、『日本書紀』垂仁三十九年条の
 太刀佩部や『続日本紀』元明天皇慶雲四年条の授刀舎人と同様な役目を担
 った者かもしれません。
  さらに、田雁足尼の足尼は『先代旧事本紀』天孫本紀で宇摩志麻治命が
 神武天皇の股肱の職にあり、天皇本紀では宇摩志麻治命が宮中に宿し近侍
 したことから足尼と号し、足尼の号はここから始まったと記しており、
 また足尼は奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する天寿国繍帳や群馬県高崎市の
 山上碑に使用例があり、『続日本紀』光仁天皇宝亀四年五月条によれば
 足尼は宿禰の古い表記法であるとされているので、そのような事情から
 「足尼」の文字が使われたものと思われます。
  なお、『新撰姓氏録』右京皇別には大彦命の後裔を称する杖部造(軍事
 的色彩の強い使部の伴造か?)の名が見えることから、ヲワケの臣と同族
 ではないかと見られます。

7.鉄剣の贈り主
  ヲワケの臣の祖父ハテヒと父のカサヒ(ハ)ヨはその名にワケを含んで
 いないが、前出の前川氏によれば乎獲居臣(直)の家は杖刀人として仕え
 た祖父・父の代にはさしたる勲功がなく衰退していたが、乎獲居臣(直)
 の代になって、獲加多支鹵大王(雄略天皇)に対して杖刀人の首として
 軍事に精励したため、祖父・父の代の衰退を挽回し、大王から鉄剣を賞賜
 され、これに自己の祖先系譜を銘として刻むことを許されたのであろうと
 しています。
  では、ヲワケの臣一族はいきなり杖刀人になれたのでしょうか。
  やはり祖父・父がヤマト王権の関東地方の制圧に協力したので、その
 信頼を元にヲ ワケの臣は杖刀人からその首にまで登り詰めたと考えるのが
 素直ではないかと考えます。
  そうしますと、鉄剣の賞賜と埼玉古墳群で最初に築造された稲荷山古墳
 は一連のもので、この古墳はヤマト王権と地方豪族との一定の支配関係の
 表現でもあるとする従来の考え方が適用可能なのかもしれません。
  倭王武が南宋の皇帝に奉った上表文で、「東に毛人を征すること五十五
 国」とあるのは、北関東が毛野と呼ばれた地であることからも、異論はあ
 るものの五十五国とは関東地方のことで、ヲワケの臣一族が制圧に協力し
 たと考えるのが妥当ではないでしょうか。
  なお、大王がいた斯鬼宮とは栃木市藤岡町大前神社の住所が磯城宮であ
 るので、この地の大王ではないかとする意見もあるが、確かに埼玉古墳群
 から利根川を挟んで直線距離で約20kmの近距離ではあるものの、膳臣の
 先祖が下毛野氏の配下であったとする記録は無く、雄略天皇が居住した
 泊瀬朝倉宮は当時の磯城地方に含まれるとの意見もあり、同じ磯城の地名
 が栃木市にあるとの理由だけでこの大王が雄略天皇では無い可能性がある
 とするのは相当無理がありそうです。

8.まとめ
  『日本書紀』応神天皇十三年条の別伝に日向の諸県君牛は朝廷に仕えて
 老齢となり仕えをやめて本国に帰ったという話を載せており、ヲワケの臣
 も同じような事情にあった可能性が高く、稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族
 について名乗りの観点から考察した結果、ヤマト王権と同盟、後に支配下
 にあった武蔵を本貫とする膳臣の先祖の一族である可能性は否定しがたい
 ものと考えます。

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