加木屋系図(本家)その1

 加木屋系図(本家)は『東海市史』にもその冒頭部分の写真が掲載されていますが、全体は謎に包まれていました。

 所蔵されている元庄屋家の久野様から見せていただく機会がありましたが、本家系図は34代宗政まで系線が書き込まれていない系図の為、ここでは系図そのものの掲載は冒頭部分のみとし、分家系図を参照しつつ、分家系図に書かれていることを織り交ぜながら話を進めます。

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加木屋系図(分家)

 加木屋系図(分家)は『東海市史資料編第二巻』に加木屋初代とされる久野栄邑からの系図が掲載されていますので一部分を本項の末尾に添付しておきましたが、全体は謎に包まれたままでした。系図を所蔵されている元庄屋家の近くにお住いの久野様から見せていただく機会がありましたので、ここに本家系図のみに出てくる人物を含めて、維永までの系図を載せました。

 大筋では本家系図と同じ内容なのですが、分家系図の方が詳しい箇所や分家系図にしか出てこない人物も散見されますので、これらを中心に解説します。

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久野氏の分布

久野氏の全国の分布状況につきましては、静岡県袋井市にあります久野城址保存会の兼子様が平成十年にNTTの電話帳で調査された結果をそのまま掲載させていただきます。久野は稀少姓と言えますが、愛知県だけで全国の久野姓の約半数に達します。

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駿河・遠江久野氏の出自

 加木屋系図によれば、久野(久能)氏は渡来系豪族秦氏の末裔を称し、駿河国久能(現在の静岡市駿河区根古屋付近)を故地とする武士だったようです。

 この久野氏が、養老年間(717~724年)に中央から派遣されて駿河掾に任命された秦忌寸稲粟(従六位下)とどのような関係にあったのかは分かっていませんが、久野氏は秦久能(はたのひさよし)を先祖神として祭っており、聖武天皇の時代に秦久能が一時筑紫大島に住んでいたという話は、「久能寺縁起」や『修訂 駿河国新風土記』には出てこないオリジナルな内容であることから、久野氏の秦氏末裔説は信憑性が高いものと考えています。

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駿河・遠江久野氏の家紋

 愛知県東海市の元庄屋家に伝わる加木屋系図の平安時代と思われる部分には、駿河久野氏の最初の家紋は「瓜の中に三つ星」で、その後これを産土神の紋とし、新たに一部の久野氏が現在でも使用している「瓜の中に左三つ巴」にしたと書かれています。瓜の中にある三つ星とは太陽、月、星の三光です。
 平戸・松浦家の家伝にも、「家紋三星(太陽、月、星の三光)を賜る」とあり、家紋の三つ星がオリオン座の三つ星に由来すると言う話はあまり信用できません。

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本ブログは以前のHP<久野氏+諸氏ミニ情報>をリニューアルし、また日本の古代史を追加して気ままに書いていくつもりですので、何卒宜しくお願い致します。

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