1.はじめに
明智光秀のルーツについては、「三河三宅氏」の稿で主に名乗りの共通点から三河三宅氏と同族ではないかとしたわけですが、本稿では東大史料編纂所蔵の「明智氏一族宮城家相伝系図書」(以下、宮城系図と称する)や三宅家史料刊行会編の『明智一族三宅家の史料』に掲載の熊本藩士三宅家系譜(以下、三宅系図と称す)の細部を検討し、三河三宅氏同族説を補強してみたいと思います。
月: 2024年8月
三河三宅氏
1. はじめに
三河の田原藩主であった三宅氏は『寛永諸家系図伝』では藤原氏支流に収め、「家伝にいはく、先祖は備前の児島より出、藤五太郎、藤五次郎、藤五三郎兄弟三人なり、今にいたりて九百年にをよぶ、藤五三郎三州賀茂の郡廣瀬の城に居住す、隼人正は其苗裔なり、と云々」とあります。この藤五〇〇の藤の字により無理やり藤原氏流に分類されたようにも思えます。