稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族について

1.はじめに
  埼玉県行田市の埼玉古墳群には、かつて大小40基ほどの古墳が造られた
 ことがわかっており、出土した遺物から5世紀後半から7世紀初め頃までの
 約150年間に次々と造られたと考えられています。
  この古墳群の1基の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の銘文の8代の
 氏族について、既に有益な内容の書籍もあると考えられるので、それらを
 踏まえて銘文の氏族を考察します。

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松野連姫氏系図の信ぴょう性

 国会図書館が所蔵する『諸系譜』第2冊に所収の松野連姫(まつののむらじき)氏系図は明治時代の系図研究家であった鈴木真年が収集した系図であると言われており、呉王夫差を初代とし、その末裔には『日本書紀』の景行天皇の熊襲討伐の段に登場する厚鹿文、迮鹿文、市乾鹿文、市鹿文が記述され、さらに『魏志倭人伝』に登場する伊馨耆が記載されると共に、倭の五王(讃、珍、済、興、武)が登場するという古代史上の有名人のオンパレードの様相を呈していまして、とても史実とは思えません。

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稲員家系図はどこまでが史実なのか

1.はじめに
 福岡県久留米市にある筑後一宮の高良大社の御貢所職であり、また神官領家を称して八人神官を指導し、近世では大庄屋であった稲員(いなかず)家に伝わる系図は、ネットではこの系図は九州王朝の根本史料ではないかとさえ言われているものであり、非常に興味深いものなのですが、5世紀の内容を含むとなると、誰が、何時、何の目的で作成したのか素朴な疑問も浮かんできますので、系図の周辺状況などからどこまでの年代を史実ととらえることが可能なのかを中心に探ってみたいと思います。

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尾張氏と熱田神宮主要摂社の奉斎氏族との関係は

1.はじめに
 『古事記』景行段には倭建命が東征の途中に尾張国に立ち寄り、尾張国造の祖先である美夜受比売の家に行ったとする記事を載せていますが、『先代旧事本紀』国造本紀では天火明命の十世孫の小止与命が尾張国造を賜ったとされており、これは通説とは親子関係が逆転しているようなので、その真偽を含めて尾張氏と熱田神宮の主要摂社の奉斎氏族との関係を探っていこうと思います。

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古代の的氏の出身地の考察

1.はじめに
 的(いくは)氏については、「的氏の地位と系譜」(『日本古代の氏族と天皇』直木孝次郎著、塙書房、1964年に所収)に詳しい考察がされており、その出身地としては、的氏の本来の故郷が山背か河内かは不明だが、その祖先伝承を形成した6世紀において、河内・和泉を重要な基盤として栄えた氏族であるとされている。
 これは一つの有力な意見ではあるが、ここでは別の見解を提示してみたい。

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聖徳太子御書並如来御返翰は本物か

1.はじめに
 『善光寺縁起集註 巻第五』に所収の「聖徳太子御書並如来御返翰(注1)」には往復書簡集の形で聖徳太子と善光や麻績善光とのやり取りの手紙が計6通掲載されていますが、これらの手紙がなぜか法隆寺が所有する「善光寺如来御書箱」に納められているとのことです。
 そこでこれらの手紙が法隆寺に納められた経緯などを考察してみます。

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倭人の姓の考察

 中国の検索オンライン百科事典である「百度百科」には中国の姓について比較的詳細な記載があるので、この内容などを手掛かりにして中国の正史である倭人伝等に登場する倭人の姓について考察します。
 なお、名前のふりがなは講談社学術文庫の『倭国伝』によった。

(1)帥升(すいしょう)
   『後漢書』倭伝に「安帝の永初元年(一〇七)、倭の国王帥升等、生口百六
  十人を献じ、請見を願う。」として登場する帥升だが、帥姓は「百度百科」で
  は、周王朝時代の軍には師帥、中軍帥、上軍帥、下軍帥、左軍帥、右軍帥、後
  軍帥などの官名があり、これらの子孫が帥氏を称した。

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