松野連姫氏系図の信ぴょう性

 国会図書館が所蔵する『諸系譜』第2冊に所収の松野連姫(まつののむらじき)氏系図は明治時代の系図研究家であった鈴木真年が収集した系図であると言われており、呉王夫差を初代とし、その末裔には『日本書紀』の景行天皇の熊襲討伐の段に登場する厚鹿文、迮鹿文、市乾鹿文、市鹿文が記述され、さらに『魏志倭人伝』に登場する伊馨耆が記載されると共に、倭の五王(讃、珍、済、興、武)が登場するという古代史上の有名人のオンパレードの様相を呈していまして、とても史実とは思えません。

 本系図の大筋としては、呉王夫差の末裔が渡来して熊鹿文が委奴国王を僭称し、そして熊襲の有力者から、さらに倭の五王を経て金刺宮(欽明天皇か)の治世に降伏し、筑後国夜須の評督となり、その後は京に上り園池司などの下級官人になったというもので、知り得る情報に想像を加えて系図にしてみたという感じは否めません。
 ネット上では本系図について肯定的な立場から考察したものもあり、一部では九州王朝と関係があるのではないかと言われていますが、系図というものは源泉資料として自家の古文書から作成されるべきものであり、そのような意味でも本系図は評価に値するものではありません。

 結論として、本系図の前半部分は下級官人であった松野氏が作成した系図ではなくて、創作された偽系図であることが容易に想像されますので、残念ながらこの系図によって古代史を語ることは出来ません。

「松野連姫氏系図の信ぴょう性」への3件のフィードバック

  1. とにかく、福岡(博多)の志賀島で発見された金印「漢倭奴国王」は、中国の文献に記載された最古のもの(歴史的原物)なので、「漢倭奴国王」は誰であったのかを探究しています。よろしくお願いします。

    1. 漢倭奴国王の実名については確かな一次史料もなく、研究しようにも出来ませんので、研究対象の範囲外だと思っています。このような状況下で、この時代の二次史料である系図が存在するということは、その系図自体が根拠不明なものであり、いわゆる偽系図と言うべきものだと思っています。特に明治初期に編纂された伝来不明の松野連姫氏系図に1世紀代の史料的価値をみつけるのは困難であり、当ブログでは注意喚起の意味を込めて記事を書いたつもりです。世の中には偽系図が沢山ありますので、系図を鵜呑みにするのは危険です。古代の系図に関する論考では、『日本古代の氏族と系譜伝承』鈴木正信著、吉川弘文館が参考になりますが、系図の真偽を検討するにはこのような研究が欠かせませんし、逆にこのような研究ができない系図に史料的価値を見いだすのは困難です。

  2. はじめまして。
    趣味的に魏志倭人伝を読み解いておりまして、読み解きの参考資料を探していた所、私が全く知りもしなかった松野連系図にポジティブなスタンスから言及したブログページが出てきて、またホツマの類かと疑い「松野連系図、信憑性」で検索してこちらのページにお邪魔しました。
    資料信憑性の注意喚起とのことですが、正におっしゃる通りで、この系図は部分的に合っていたとしてもそうしたパーツは他からの借物で、各所に参照に値しない虚偽が混淆されていると金輪際割り切ることができましたので、大変助かりました。ありがとうございます。

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