「卑奴母離」考

 『魏志』倭人伝においては対馬国、壱岐国、奴国、不弥国に「卑奴母離(ひなもり)」という副官が置かれていたのですが、4~5世紀ではないかと思われる時代の『日本書紀』景行天皇18年3月条に景行天皇が夷守(日向国諸県郡:今の宮崎県小林市)に着いた時の側近に兄夷守(えひなもり)、弟夷守(おとひなもり)がいます。

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日向神話の舞台はどこか

1. はじめに
 天孫降臨などの記紀神話に出てくる地名の比定は、どこを舞台にした物語な
のかを解明することにつながる訳ですが、ここでは日向神話の舞台がどこにあ
ったのか、なぜそこなのかなどについて考察します。

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天日槍伝説と三宅連氏

1.まえがき
 『古事記』垂仁天皇段では、三宅連らの祖先にあたる田道間守が天皇の命を受けて常世国へ非時香菓を求めて旅に出たとの話を載せており、応神天皇段では新羅王の子である天之日矛が神宝8種を持参して渡来し但馬国にとどまり、その子孫に多遅摩毛理らがいたことを記しており、田道間守=多遅摩毛理です。

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古代阿曇氏の発祥地について

1. はじめに
 『日本書紀』によれば、阿曇氏やその先祖には応神朝に大浜宿禰、履中天皇即位前紀に阿曇連浜子、推古朝に阿曇連(闕名)、皇極朝・天智朝に阿曇連比羅夫、孝徳朝に阿曇連(闕名)、斉明朝・天智朝に阿曇連頬垂、天武朝に阿曇連稲敷がいます。

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明智光秀のルーツを探る

1.はじめに
 明智光秀のルーツについては、「三河三宅氏」の稿で主に名乗りの共通点から三河三宅氏と同族ではないかとしたわけですが、本稿では東大史料編纂所蔵の「明智氏一族宮城家相伝系図書」(以下、宮城系図と称する)や三宅家史料刊行会編の『明智一族三宅家の史料』に掲載の熊本藩士三宅家系譜(以下、三宅系図と称す)の細部を検討し、三河三宅氏同族説を補強してみたいと思います。

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三河三宅氏

1. はじめに
 三河の田原藩主であった三宅氏は『寛永諸家系図伝』では藤原氏支流に収め、「家伝にいはく、先祖は備前の児島より出、藤五太郎、藤五次郎、藤五三郎兄弟三人なり、今にいたりて九百年にをよぶ、藤五三郎三州賀茂の郡廣瀬の城に居住す、隼人正は其苗裔なり、と云々」とあります。この藤五〇〇の藤の字により無理やり藤原氏流に分類されたようにも思えます。

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邪馬台国大和説(2)

 3.5 『魏志倭人伝』以外の中国史書の内容
 (1)『魏略』
    『魏略』は『魏志倭人伝』に先行して265年頃に成立したとされ、その
   逸文が『翰苑』に収められていますが、その内容は識者の訂正内容を踏ま
   えると次の通りです。

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