中国の検索オンライン百科事典である「百度百科」には中国の姓について比較的詳細な記載があるので、この内容などを手掛かりにして中国の正史である倭人伝等に登場する倭人の姓について考察します。
なお、名前のふりがなは講談社学術文庫の『倭国伝』によった。
(1)帥升(すいしょう)
『後漢書』倭伝に「安帝の永初元年(一〇七)、倭の国王帥升等、生口百六
十人を献じ、請見を願う。」として登場する帥升だが、帥姓は「百度百科」で
は、周王朝時代の軍には師帥、中軍帥、上軍帥、下軍帥、左軍帥、右軍帥、後
軍帥などの官名があり、これらの子孫が帥氏を称した。
また、『三国史記』高句麗本紀の第四代閔中王(在位紀元四四~四八年)四
年十月条に「高句麗の蚕友部落の大家の戴升ら一万人余家が楽浪にきて後漢に
投降した。」との記載があり、帥升と戴升の名前の類似性から、帥が姓で升が
名と解する事が可能であり、帥升は中国発祥の渡来系氏族の末裔ではないだろ
うか。
(2)難升米(なとめ)
『魏志』倭人伝に「景初二年(二三八)六月、倭の女王、大夫難升米等を遣
わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。」とあるのが難升米の初見
だが、この倭人伝以前の時代に難氏が存在したとする記述は「百度百科」には
ないが、以後の時代に難姓についての記述があり、その概要は、北魏孝文帝
(在位四七一~四九九年)の政策で鮮卑族の吐難氏は難氏と山氏の単姓に変更
された。その後、この難氏は朝鮮半島に移動した。
また、太田亮著『姓氏家系大辞典』の難氏の項には、山城の古族にして、正
倉院天平8年文書や続日本紀天平17年条、宝亀8年3月条などに見え、大同方に
都々喜郡市野辺難帆麿なる人物が紹介されているので、「百度百科」の難姓の
発生時期が遅く時代的に整合しないものの、難は中国、朝鮮半島、日本列島で
広く受け入れられた姓であり、難升米は渡来系氏族の末裔ではないだろうか。
(3)伊声耆(いとぎ)
『魏志』倭人伝に「その四年、倭王、また使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を
遣わし・・・」として登場する伊声耆だが、伊姓は「百度百科」では、商王朝
の大臣である伊尹の後裔である。また、西周時代の官史である復姓の伊耆氏が
後に単姓の伊氏を称した。
従って、伊声耆は中国発祥の渡来系氏族の末裔ではないだろうか。
(4)掖邪狗(やざく)
前項の伊声耆の後の箇所に登場するのが掖邪狗の初見だが、掖姓は「百度百
科」では、春秋時代の莱(らい)国掖郡の地名にちなむ姓であり、また古代の
官職である掖庭令にちなむ姓でもある。
従って、掖邪狗は中国発祥の渡来系氏族の末裔ではないだろうか。
(5)台与(とよ)
『梁書』倭伝や『北史』倭国伝に倭国王として登場する台与だが、台姓は
「百度百科」では、後漢の時代に台佟、台崇という人物がいた。
従って、『魏志』倭人伝に出て来る壱与ではなくて台与が正しいとした場合
は中国発祥の渡来系氏族の末裔の可能性が考えられます。
また、『新撰姓氏録』には臺忌寸(漢孝献帝男白龍王之後)と臺直(漢釈吉
王之後)が見えますが、この氏の臺(台)とは「うてな」と読み、7世紀頃の
渡来でしょう。
(6)都市牛利(つしごり)
『魏志』倭人伝に「その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親
魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米・次使都
市牛利を送り、・・・」として登場する都市牛利だが、「百度百科」に都市姓
は出てこない。
それでは都市を復姓とした場合、「百度百科」の都姓と市姓については、都
姓の出自は公都氏であり、春秋時代の楚国の都村を受封したことにより単姓の
都氏を称した。なお、韓国には都姓の人が数万人いる。
また、市は西周の市場を管理する役人である市司(いちのつかさ)の官名を
姓としたものである。
従って、都市姓は朝鮮半島で発生した復姓の可能性は否定できないので、都
市牛利は渡来系氏族の末裔ではないだろうか。
(7)載斯烏越(そしうお)
『魏志』倭人伝に「倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説
く。」として登場する載斯烏越だが、「百度百科」に載斯姓は出てこない。
それでは載斯を復姓とした場合、「百度百科」の載姓と斯姓の概略として、
載は春秋時代の地名・載中(現在の河南省開封市東北)にちなむ姓であり、ま
た載は周の文王の子・聃季載(ぜんきさい)の子孫が載姓を称している。
斯は現在の地名・浙江省東陽市城東街道斯村にちなむ姓であり、呉の初代皇
帝・孫権より史偉(一九六~二六五年)の子である史郭、史従が斯氏を賜っ
た。
また、『日本書紀』の欽明天皇十五年十二月条には百済が下部杆率汶斯干奴
(かほうかんそつもんしかんぬ)を遣わしたという記述があり、この汶斯が姓
だとすれば、載斯も朝鮮半島で生まれた姓の可能性が考えられるので、「百度
百科」の斯姓の発生時期が遅く時代的に整合しないものの、載斯烏越は渡来系
氏族の末裔ではないだろうか。
以上、姓の由来の観点から考察した結果、倭国側の登場人物には中国系の渡来人の末裔ではないかと思われる者が大多数であり、中国大陸と同様に倭国でもこの時代までは確実に姓の継承がなされていたものと推測されます。
紀元前1世紀代には漢王朝の中原から楽浪郡を経由し、朝鮮半島を縦断して北部九州に至る交易ルートが形成されていたと考えられ、これ以降の渡来人の末裔が倭国の国王や外交・軍事部門の中心的な人物だったと思われ、北部九州の沿岸付近は異国情緒の漂う状況だったものと想像しています。