備中土岐(浅野)氏

 岐阜県瑞浪市に本部がある美濃源氏フォーラムの『’96美濃源氏土岐氏研究講座 講義録』で岡山県笠岡市の土岐嘉允氏が発表された「備中の一土岐氏について 起源と系譜の考察(第一部)」から、備中・浅野氏の同族と思われる備中・土岐氏の系図情報について当主を時代順に列記してみました。

土岐直氏伊予守、宮内少輔、康暦2年11月14日死
直景源吾、号土岐帯刀先生、住于尾張
景武五良左衛門、後号浅野玄蕃、出仕武衛公居于尾張清州
常興与三右衛門
興陣五郎左衛門
景直母大町右京亮康親女、江守美濃守康衡二男大町玄蕃頭康成嫡孫 蓋江守康顕姪也 小字豊太郎後号与三右衛門属織田伊勢守信安居于尾張岩倉城 永禄元年七月十二日信安與信長合戦于浮野景直大有軍功自信 安賜感状永禄二年岩倉落城景直遊客於京都 永禄三年毛利元就公上洛元就公任大膳大夫陸奥守菊桐御紋錦 直垂勅免毛利御一家之栄耀都鄙羨之 景直謁元就公供奉芸州于時二十四歳也
備中土岐(浅野)氏の歴代当主


 景武が土岐姓から浅野姓に改姓したようで、愛知県一宮市域の浅野の地を名字にしたと思われます。景武は尾張守護斯波氏に仕え、景直に至って岩倉城主の織田信安に仕え、岩倉城の落城後に毛利家臣となり、その後に土岐姓に戻したらしいのですが、残念ながらその部分は不明です。


 通説では大名になった浅野氏は土岐氏流で、美濃国浅野を名字の地とする一族としていますが、備中・浅野氏(HP「ごさんべえのページ」に6家が掲載されており、その中の系図で浅野景直が出てくる家はこちら。)の家紋が「違い鷹の羽」で、大名の浅野氏も同種の家紋であることから、同族と考えた方がよいのかもしれません。
 毛利氏の備中の最前線は高梁川西岸であり、備中猿掛城の近くに住する備中・浅野氏はその最前線で宇喜多氏らと対峙していたと思われます。


 加藤國光編『尾張群書系図部集』によれば、「後世、浅野氏は土岐氏一族の浅野氏にその祖先を求めたが、史料的根拠は無い。ただ、土岐氏が尾張守護職であった時代が有り、その一族として尾張へ進出した可能性は有る。」と言われており、また建徳元年(1370年)土岐直氏尾張に帰る(『花営三代記』) との記述もありますが、この系図情報では約二百年で六代の当主しか掲載されていないので、明らかに何世代かの欠落があり系図情報としては不完全です。


 加えて、直氏のみ没年月日が明記されており、この日付が『尊卑分脈』と一致していることから、『尊卑分脈』を引用した可能性があり、また先祖の記憶に残っていた土岐直景の名前から、直の字に注目して土岐直氏に繋げた系図を作った可能性が考えられるため、土岐一族の可能性はあるものの、尾張守護代であった土岐直氏(1331年~1380年)の後裔かどうかについては不明と言わざるを得ません。

「備中土岐(浅野)氏」への2件のフィードバック

  1. 笠岡市の浅野は同族じゃないんですか?家紋は、違い鷹の羽です。笠岡市の浅野家は笠岡市重要文化財の五輪塔やラントウらしきものもを所有してます。https://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/39/2446.html

  2. 家紋からすると同族だと思います。浅野景直が備中に入国したのが永禄3年以降ですから、笠岡市大島中字正頭にある鎌倉~室町時代の2つの大きな五輪塔は浅野氏の直接の先祖のものではなく、縁者のものかもしれませんね。

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