尾張大島氏再考

以前に考察した結果の概要は次の通りです。
1.新愛知新聞(中日新聞の前身の一つ)を創業した人物の伝記である『大島宇吉翁伝』では清和源氏の新田氏流大島氏の後裔を称するものの、それを裏付けるものは見当たらない。
 また、美濃や尾張に大島の名字の地を見つけ出せないのが現状である。

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尾張氏と熱田神宮主要摂社の奉斎氏族との関係は

1.はじめに
 『古事記』景行段には倭建命が東征の途中に尾張国に立ち寄り、尾張国造の祖先である美夜受比売の家に行ったとする記事を載せていますが、『先代旧事本紀』国造本紀では天火明命の十世孫の小止与命が尾張国造を賜ったとされており、これは通説とは親子関係が逆転しているようなので、その真偽を含めて尾張氏と熱田神宮の主要摂社の奉斎氏族との関係を探っていこうと思います。

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久能氏と長谷川長者

 長谷川長者とは静岡県焼津市域の土豪で、小川の地に住んでいたことから小川法永長者とも呼ばれ、文明3年(1471年)初見の長谷川政宣が知られます。
 今川竜王丸、後の今川氏親が家督争いに敗れた時に、この長谷川政宣が一時かくまっていたことがあります。

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古代の高原氏とその後裔

1.古代の高原氏
 もと韓国(からくに)氏といい、韓国連源(みなもと)は宝亀八年(777年)に派遣された第14次遣唐使の録事に任命されており、唐からの帰途、済州島に漂着し略奪・留置されたが密かに脱出し、宝亀九年十一月十日に40余人を率いて帰国したと『続日本紀』にあります。

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遠江国の鎌倉幕府御家人

 遠江国の鎌倉時代御家人名については、『吾妻鏡』建長2年(1250年)3月1日条の「閑院内裏造営雑事目録」では原左衛門(忠安)跡と浅羽人々(浅羽庄司ら)らが二条面南油小路北を分担しているが、久野氏は見られない。

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古代の的氏の出身地の考察

1.はじめに
 的(いくは)氏については、「的氏の地位と系譜」(『日本古代の氏族と天皇』直木孝次郎著、塙書房、1964年に所収)に詳しい考察がされており、その出身地としては、的氏の本来の故郷が山背か河内かは不明だが、その祖先伝承を形成した6世紀において、河内・和泉を重要な基盤として栄えた氏族であるとされている。
 これは一つの有力な意見ではあるが、ここでは別の見解を提示してみたい。

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