1.はじめに
『善光寺縁起集註 巻第五』に所収の「聖徳太子御書並如来御返翰(注1)」には往復書簡集の形で聖徳太子と善光や麻績善光とのやり取りの手紙が計6通掲載されていますが、これらの手紙がなぜか法隆寺が所有する「善光寺如来御書箱」に納められているとのことです。
そこでこれらの手紙が法隆寺に納められた経緯などを考察してみます。
投稿者: 管理人
久能氏と駿河太田氏
下の表は『駿河記』に掲載されている御穂神社神主の太田氏の歴代当主の事績を引用しました。『清水市史』によれば表は若干誤伝を記したもののようで、
1.比爪兼衡は師衡の子ではなく弟、
2.兼衡が太田を姓としたのは兄師衡の太田冠者によったもの、
3.兼衡自身は次郎と称し次男であったことは確か、
だそうです。
駿河久野氏と奥州平泉
久野(久能)氏は奥州平泉と浅からぬ関係があったようです。
『清水市史』によれば、「文治五年(一一八九)に源頼朝は奥州藤原氏を征討し、藤原清衡の曾孫である樋爪次郎兼衡は捕らえられて駿河国に流された。兼衡は久能兵庫頭勝重の女と結婚し、御穂神社神主の太田家の祖になった。」とあります。
駿河を守る神々の路と久野氏
静岡県日本史教育研究会編『静岡県の史話 上』によれば、安倍川が氾濫したらどこまで水に浸かるかという想定図があり、その境の線は賎機山から八幡山を結び、そのまま大谷の方に延びているそうです。
古代において、大谷川は現在よりかなり東に寄った地点で久能の海岸に注いでおり、水流を避けた境の通路が、海からの神が八幡山経由で賎機山の霊域に通じていると史話では想定されています。
尾張富田氏と荒尾氏
愛知県東海市域の富田庄(中世のある時点から荒尾庄富田村)があった東海市富木島町には鎌倉時代の特徴をもった古い五輪塔が七基存在し、その中の一段と形の良い五輪塔が業平塚と呼ばれています。
これらの五輪塔は、この地を治め、融通念仏宗の開祖である聖応大師良忍上人(1072年~1132年)を生んだ藤原氏の一族が、在原業平と業平を慕って都からこの地まで来て悲恋の死をとげた女官あやめの菩提塔として建てたものという伝承があり、正徳年間(1711年~1716年)に宝珠寺(西寺)が後述する一心院(東寺)と合併して現在地に移転する前の寺院墓地に建立されていたそうです。
久能寺の歴史
以前、鉄舟寺の山門横に掲げられていた久能寺の歴史についての内容は次の通りです。これは康永元年(1342年)6月17日の奥書がある久能寺縁起から作成したもののようです。
“久能寺の歴史” の続きを読む駿河久野氏の故地
駿河国久能は久能山南麓にあり、ここに久能寺関連の建物や、『静岡市史』によれば鎌倉武士団の拠点があったそうです。
その例証として、鳴海久野家系図によれば、「鎌田藤次俊政ハ鎌倉ニ属シ、後駿河国久能ニ住建保元酉年和田統ニ組シ滅フ」とあります。
さて、久能の範囲はどこまでなのでしょうか?
“駿河久野氏の故地” の続きを読む遠江久野氏の祖を探る
遠江久野氏の祖は遠江系久野氏の系図では久野宗仲とし、特に紀州藩家老久野家先祖累功書では、「宗仲初ハ工藤ヲ称シ、鎌倉右大臣実朝公ニ仕エ、建保元年五月、和田義盛謀反ニテ御所ヲ攻ル時、宗仲先陣ヲカケ、軍功アル故、勧賞トシテ遠州久野ノ庄ヲ給リ、久野六郎ト号、是ヨリ代々久野氏ト称号ス、此宗仲ハ、久野和泉守宗俊ヨリ十八代ノ祖也」として袋井市域の久野の地を賜り名字の地としたことが明記されています。
“遠江久野氏の祖を探る” の続きを読む久能神社
久野氏の祖とされる秦久能が祀られている久能神社は、久能山東照宮の社務所の北側にあります。
『久能山叢書』によれば、「祭神 久能忠仁、神厩の裏手小丘の上、三十九段の石灯があり前面一尺二寸、奥九寸、屋根流造石造の小祠である。享和三年武蔵の住人某の発企で社務所の北西の丘上に初めて建立したのを明治年間に今の地に移祀したのである。逸見仲三郎の久能山考に、久能神社ハ玉泉院今の社務所のところ藪内榎木ノ本ニアリ奇事多キヲ以テ近世祠ヲ建ツ秦ノ久能之古墓ナリとある。」となっています。
“久能神社” の続きを読む久能伝説
江戸時代の地誌『駿国雑志』には次のような秦久能による久能寺の建立と行基の手になる千手観音立像を安置する様が書かれています。
「昔、聖武天皇の御宇、秦川勝が二男、尊良の子、久能と言うもの、山に入りて獣を狩けるに、海辺近き所に古き杉の樹より、光ありて朝日のごとし、久能あやしみ人をして射落させ見れば、長さ五寸ばかりの閻浮檀金(えんぶだこん)の千手観音の像也。久能是を奇として、山中に寺を建、像を安置しけり。ある夜の夢に、老僧来て久能に告て曰く、我は補陀落山よりここに来れり。善かな汝、我を安置することよ、我能衆生を度せんのみと、夢覚て霊感をしるせり、因て補陀落山と云寺を建、久能寺と名づけり。其後行基ぼさつ此山に入て、古き楠を伐、千手の像七躰を刻み、かの五寸の像を新刻の像の胸に納けると也、七躰各七ヶ所に安置す。」
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