駿河久野氏の故地

 駿河国久能は久能山南麓にあり、ここに久能寺関連の建物や、『静岡市史』によれば鎌倉武士団の拠点があったそうです。
 その例証として、鳴海久野家系図によれば、「鎌田藤次俊政ハ鎌倉ニ属シ、後駿河国久能ニ住建保元酉年和田統ニ組シ滅フ」とあります。

さて、久能の範囲はどこまでなのでしょうか?

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遠江久野氏の祖を探る

 遠江久野氏の祖は遠江系久野氏の系図では久野宗仲とし、特に紀州藩家老久野家先祖累功書では、「宗仲初ハ工藤ヲ称シ、鎌倉右大臣実朝公ニ仕エ、建保元年五月、和田義盛謀反ニテ御所ヲ攻ル時、宗仲先陣ヲカケ、軍功アル故、勧賞トシテ遠州久野ノ庄ヲ給リ、久野六郎ト号、是ヨリ代々久野氏ト称号ス、此宗仲ハ、久野和泉守宗俊ヨリ十八代ノ祖也」として袋井市域の久野の地を賜り名字の地としたことが明記されています。

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久能神社

 久野氏の祖とされる秦久能が祀られている久能神社は、久能山東照宮の社務所の北側にあります。

 『久能山叢書』によれば、「祭神 久能忠仁、神厩の裏手小丘の上、三十九段の石灯があり前面一尺二寸、奥九寸、屋根流造石造の小祠である。享和三年武蔵の住人某の発企で社務所の北西の丘上に初めて建立したのを明治年間に今の地に移祀したのである。逸見仲三郎の久能山考に、久能神社ハ玉泉院今の社務所のところ藪内榎木ノ本ニアリ奇事多キヲ以テ近世祠ヲ建ツ秦ノ久能之古墓ナリとある。」となっています。

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久能伝説

 江戸時代の地誌『駿国雑志』には次のような秦久能による久能寺の建立と行基の手になる千手観音立像を安置する様が書かれています。

「昔、聖武天皇の御宇、秦川勝が二男、尊良の子、久能と言うもの、山に入りて獣を狩けるに、海辺近き所に古き杉の樹より、光ありて朝日のごとし、久能あやしみ人をして射落させ見れば、長さ五寸ばかりの閻浮檀金(えんぶだこん)の千手観音の像也。久能是を奇として、山中に寺を建、像を安置しけり。ある夜の夢に、老僧来て久能に告て曰く、我は補陀落山よりここに来れり。善かな汝、我を安置することよ、我能衆生を度せんのみと、夢覚て霊感をしるせり、因て補陀落山と云寺を建、久能寺と名づけり。其後行基ぼさつ此山に入て、古き楠を伐、千手の像七躰を刻み、かの五寸の像を新刻の像の胸に納けると也、七躰各七ヶ所に安置す。」

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久野氏の発祥地の考察

 久野氏(久能氏)の発祥地の候補を表にしてみました。
 この表で確実な久野氏の発祥地は、駿河国久能郷と出雲国久野郷の二つだけということになります。
 今のところ資料が見当たらず不明な箇所は「?」を付しています。
 さらに、久野と書いて「きゅうの」と読む氏の出自も不明ですが、駿河には「きゅうのお」と読む地名があることから、駿河国久能郷を発祥とする久野氏の一族が名字の呼び名を変えて現在に至っているのではないかと推測されます。

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岩国・久能氏と久野(ひさの)氏の関連は

 岩国藩士時代に大田姓を名乗っていた久能氏は、幕末の頃藩に提出した系図(岩国徴古館所蔵)によれば、「源姓 紋所 丸之内ニ角重 清和源氏満政三代之孫佐渡源太重実六男六郎重近駿州ニ隠テ久野与市ト改 久能氏書候」とありますが、『尊卑分脈』では重近の箇所には官位などの記載はなく、子供の記載もありません。

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遠江久野城は誰の城だったのか

 遠江久野城は掛川市と森町の間に割り込むように南北に走る宇刈丘陵の南端、標高34㍍の袋井市域の台地に築かれ、城域中央の最高部が本郭で、東西35~85㍍、南北百㍍のほぼ三角形の曲輪です。
 平成20年11月に開催されました「久野城まつり」で配布の久野城址公園整備計画の資料がもっとも城址の様子がよく分かる図面だと思いますので掲載しておきます。

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