備前難波氏と備中清水氏

1.はじめに
 国会図書館が所蔵する『諸系譜』には難波田使首系図があり、岡山県の大族で
ある難波氏に加えて、末尾には豊臣秀吉が水攻めにした備中高松城の城主・清水
宗治の孫までが記載されています。この系図は清水宗治の後裔で元長州藩士の清
水氏のために明治の初め頃に作成されたものと考えられます。

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明智光秀のルーツを探る

1.はじめに
 明智光秀のルーツについては、「三河三宅氏」の稿で主に名乗りの共通点から三河三宅氏と同族ではないかとしたわけですが、本稿では東大史料編纂所蔵の「明智氏一族宮城家相伝系図書」(以下、宮城系図と称する)や三宅家史料刊行会編の『明智一族三宅家の史料』に掲載の熊本藩士三宅家系譜(以下、三宅系図と称す)の細部を検討し、三河三宅氏同族説を補強してみたいと思います。

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三河三宅氏

1. はじめに
 三河の田原藩主であった三宅氏は『寛永諸家系図伝』では藤原氏支流に収め、「家伝にいはく、先祖は備前の児島より出、藤五太郎、藤五次郎、藤五三郎兄弟三人なり、今にいたりて九百年にをよぶ、藤五三郎三州賀茂の郡廣瀬の城に居住す、隼人正は其苗裔なり、と云々」とあります。この藤五〇〇の藤の字により無理やり藤原氏流に分類されたようにも思えます。

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備中土岐(浅野)氏

 岐阜県瑞浪市に本部がある美濃源氏フォーラムの『’96美濃源氏土岐氏研究講座 講義録』で岡山県笠岡市の土岐嘉允氏が発表された「備中の一土岐氏について 起源と系譜の考察(第一部)」から、備中・浅野氏の同族と思われる備中・土岐氏の系図情報について当主を時代順に列記してみました。

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尾張水野氏

 加藤正高著『郷土史に秘められた勇者 毛受勝助』と加藤國光編『尾張群書系図部集』を参考に尾張水野氏の概略系図を載せました。水野氏といえば愛知県の大族で、名字の地は瀬戸市域の水野ですが、名古屋市守山区志段味や尾張旭市新居、稲葉にも展開していったようです。

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尾張大島氏再考

以前に考察した結果の概要は次の通りです。
1.新愛知新聞(中日新聞の前身の一つ)を創業した人物の伝記である『大島宇吉翁伝』では清和源氏の新田氏流大島氏の後裔を称するものの、それを裏付けるものは見当たらない。
 また、美濃や尾張に大島の名字の地を見つけ出せないのが現状である。

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古代の高原氏とその後裔

1.古代の高原氏
 もと韓国(からくに)氏といい、韓国連源(みなもと)は宝亀八年(777年)に派遣された第14次遣唐使の録事に任命されており、唐からの帰途、済州島に漂着し略奪・留置されたが密かに脱出し、宝亀九年十一月十日に40余人を率いて帰国したと『続日本紀』にあります。

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尾張富田氏と荒尾氏

 愛知県東海市域の富田庄(中世のある時点から荒尾庄富田村)があった東海市富木島町には鎌倉時代の特徴をもった古い五輪塔が七基存在し、その中の一段と形の良い五輪塔が業平塚と呼ばれています。
 これらの五輪塔は、この地を治め、融通念仏宗の開祖である聖応大師良忍上人(1072年~1132年)を生んだ藤原氏の一族が、在原業平と業平を慕って都からこの地まで来て悲恋の死をとげた女官あやめの菩提塔として建てたものという伝承があり、正徳年間(1711年~1716年)に宝珠寺(西寺)が後述する一心院(東寺)と合併して現在地に移転する前の寺院墓地に建立されていたそうです。

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