静岡県掛川市域の原田荘の円通院の住持であった松堂高盛(1431~1505年)が書いた『円通松堂禅師語録』の文明13年(1481年)の記事には「香心院主明智公者、遠州久野藤氏之家産也、天性好和歌、事江湖遊興、嚢中貯風月、筆下走龍蛇、寔是大雅余声、風流奇士也」とあることから、原野谷川流域の円通院に近い寺(香心院)に久野氏が住んでいたと思われます。
また、文明13年(1481年)の記事には「藤原通種者風標之歌人也、一日和香心院主捜山中風致之詠歌三首、以投于愚老」とあり、さらに文明17(1485年)の記事には「藤原三郎通種、與令兄相順、踏雪穿雲来賀新正、精誠心切也、因題山家雪、留歌二首去矣」とあります。
従って、藤原三郎通種は香心院主の遠州久野藤氏と同族であるとの推測が成り立ちます。
岸和田系図によれば、久野宗隆の祖父に久野三郎宗種が出てきますので、宗種は一線を退いた後に通種に改名した可能性が考えられます。
なお、通種(宗種)が久野家のルーツをどこまで認識して藤原姓を名乗ったのかは不明ですが、彼の実家が藤原南家為憲流の伊東氏だったので、藤原姓を名乗るのに何のためらいもなかったのではないかと考えます。