みよし市久野家の先祖

 愛知県三好町発行の『三好町誌』によれば、三好町新屋の久野氏は遠江国の久野の里から転住すると書かれており、久野鋹谷は寛永5年(1628年)2月に三好上の鯰という所から移ってきたそうです。

 一方、郷土史家・石川源助氏作の系図によれば名前の鋹谷は正しくは張谷で、父は慶安3年(1650年)9月9日に没した傳右衛門となっており、系図の冒頭には「久野氏は遠江国山名郡久野より出づ 家傳によれば藤原南家為憲流久野宗仲の後胤なり」と書かれていますので、時代的には加木屋村から現在のみよし市へ分家していった人物の可能性があります。

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 すなわち、加木屋系図では寛永8年(1631年)に没した35代維永の兄弟に傅右衛門という人物が記載され、「先代別家ス家ノ子也」と書かれているからです。
 先代の傅右衛門が別家し、残った息子の傅右衛門は家の子として扱われていたということですが、この家ノ子とは、中世末に作られた『常陸大掾伝記』には、「家の子というのは本領を持った名代の人が奉公するばあいである。一家の端ではあるが重代の名字のかかる本領を所有していない人は家の子ではなく、家人とよぶ。」と書かれており、傅右衛門は正にこのような家の子であったと思われますが、先代が三好村へ分家していったのは確かだと考えます。


 加木屋10代久野義郡の書『万法宝蔵一切大成』(東海市史資料編第二巻に所収)の中に、本家である久野清兵衛家より分家した家として、
(一)宮太夫
(二)如意庵  
(三)助左衛門  
(四)清右衛門
(五)市郎右衛門
(六)善右衛門 
(七)半平    
(八)善之右衛門
(九)円右衛門 
(十)沢右衛門
の10家が時代順と思われるように書き連ねてありますが、時代的に助左衛門と清右衛門の間に位置する傅右衛門の名が見当たりません。
 一方、加木屋系図には出てこない市郎右衛門がみよし市新屋久野家系図に出てくるのは非常に興味深いのですが、その理由は不明です。


 また、現在のみよし市久野家の家伝には駿河関係の記述が一切無いことから、先代の傳右衛門は遠州出身であり、同じく遠州出身の久野宗政と行動を共にして現在の東海市加木屋町に来たと思われ、後にみよし市へ移住したので駿河に関する記述が一切見られないのは当然かもしれません。
 この久野家からは、江戸時代に大庄屋を務めた久野太郎左衛門(三好上)や割元を務めた久野新七郎(新屋)、また愛知用水事業の計画・完成に尽力した久野源蔵氏が出ておられます。

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