「岸和田藩久野家文書」は静岡県袋井市立袋井図書館に所蔵され、系図や系図の基になった資料なども集められており、遠江久野氏の初代久野城主であった宗隆以降の内容についてはほぼ正確であり、遠江久野氏を代表する系図であると思います。
この久野家の初期段階の系図では、「工藤遠江守時憲から宗隆までの約三〇〇年間の系譜中絶す。久野城主佐渡守宗隆に至りて久野を以て氏とす。是久野の祖ナリ。」と書かれていますので、久野宗隆以前の系譜は後で無理やり追加した感じは否めません。
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加木屋系図(本家)その2
この加木屋系図で一番の謎は、33代栄邑の項に記されている宗秋、宗能、維宗、宗秀の存在です。
大阪府の岸和田系図では宗重は宗能の親で八右衛門宗明と同一人物ですし、宗明と宗秋は同一人物と考えられ、宗秀は宗能の子ですから、宗能の親と子を含めた3代がこの系図に書かれていることになります。さらに、岸和田系図では宗重は他の久野家へ養子にいったことになっていますので、養子先は駿河の久野家だった可能性は否定できません。
“加木屋系図(本家)その2” の続きを読む加木屋系図(本家)その1
加木屋系図(本家)は『東海市史』にもその冒頭部分の写真が掲載されていますが、全体は謎に包まれていました。
所蔵されている元庄屋家の久野様から見せていただく機会がありましたが、本家系図は34代宗政まで系線が書き込まれていない系図の為、ここでは系図そのものの掲載は冒頭部分のみとし、分家系図を参照しつつ、分家系図に書かれていることを織り交ぜながら話を進めます。
“加木屋系図(本家)その1” の続きを読む加木屋系図(分家)
加木屋系図(分家)は『東海市史資料編第二巻』に加木屋初代とされる久野栄邑からの系図が掲載されていますので一部分を本項の末尾に添付しておきましたが、全体は謎に包まれたままでした。系図を所蔵されている元庄屋家の近くにお住いの久野様から見せていただく機会がありましたので、ここに本家系図のみに出てくる人物を含めて、維永までの系図を載せました。
大筋では本家系図と同じ内容なのですが、分家系図の方が詳しい箇所や分家系図にしか出てこない人物も散見されますので、これらを中心に解説します。
“加木屋系図(分家)” の続きを読む久野氏の分布
久野氏の全国の分布状況につきましては、静岡県袋井市にあります久野城址保存会の兼子様が平成十年にNTTの電話帳で調査された結果をそのまま掲載させていただきます。久野は稀少姓と言えますが、愛知県だけで全国の久野姓の約半数に達します。
“久野氏の分布” の続きを読む駿河・遠江久野氏の出自
加木屋系図によれば、久野(久能)氏は渡来系豪族秦氏の末裔を称し、駿河国久能(現在の静岡市駿河区根古屋付近)を故地とする武士だったようです。
この久野氏が、養老年間(717~724年)に中央から派遣されて駿河掾に任命された秦忌寸稲粟(従六位下)とどのような関係にあったのかは分かっていませんが、久野氏は秦久能(はたのひさよし)を先祖神として祭っており、聖武天皇の時代に秦久能が一時筑紫大島に住んでいたという話は、「久能寺縁起」や『修訂 駿河国新風土記』には出てこないオリジナルな内容であることから、久野氏の秦氏末裔説は信憑性が高いものと考えています。
“駿河・遠江久野氏の出自” の続きを読む駿河・遠江久野氏の家紋
愛知県東海市の元庄屋家に伝わる加木屋系図の平安時代と思われる部分には、駿河久野氏の最初の家紋は「瓜の中に三つ星」で、その後これを産土神の紋とし、新たに一部の久野氏が現在でも使用している「瓜の中に左三つ巴」にしたと書かれています。瓜の中にある三つ星とは太陽、月、星の三光です。
平戸・松浦家の家伝にも、「家紋三星(太陽、月、星の三光)を賜る」とあり、家紋の三つ星がオリオン座の三つ星に由来すると言う話はあまり信用できません。